「チャンス」という映画を観た・
知人から、すすめられて「チャンス」という古い映画をレンタルショップから借りてみた。
この映画の主演はピーターセラーズ。ピーターセラーズといえば、一時人気のでた「ピンクパンサーシリーズ」で有名な喜劇役者だ。この映画では、クルーゾー警部とはだいぶ違った味をだしていた・
ストーリーを簡単にいうと・
世間知らずで読み書きもできず、社会との接点がテレビ以外になかった初老の庭師が主人公。その庭師が子供の頃から仕えていた屋敷の主人が亡くなり、失業することになる。
その住みこんでいた屋敷からも、つめたく放り出される。
庭いじり以外に能がなく、途方にくれるた主人公。ふとしたことから政財界の大物フィクサーと出会い、徐々に親しくなっていく。その大物フィクサーとやり取りで、勘違いが幾つか重なりやがて大統領候補となっていく・・
というようなストーリーだ。
なぜ大物フィクサーが文字書きもできないような庭師に惹かれたかというと、庭師の言葉には打算がなく、いつも真摯に話すので、妙な設得力をもって大物フィクサーに響く。
こう書くと、庭師が優れた人物、もしくは人格者に聞こえるかもしれないが、実際のところはそれほど考えて言葉を発しているわけでない。打算のない言葉を大物フィクサーが勝手に勘違いをしていくわけだ。
この「チャンス」という映画。
見ようによっては、コメディでもありシリアスドラマでもあり、見た後で考えさせられる内容であった。
この映画のメッセージは、観た人により受けとり方も評価もだいぶ違うものになると思う。
私が感じたのは「発信者のメッセージや情報をどう受け取るか」は、発し方などももちろん影響するが、それよりむしろ受け手側の姿勢が大きい」ということ。
例えばAというメッセージを発信したとして、ある人は、その内容を「B」と理解し、ある人は「C」と聞く。純粋に「A」と受け取る人の方が少ないのかもしれない。
ほとんどの人は「自分」というフィルターを通して、メッセージを聞く。
フィルターの色は水色もあれば、オレンジもある。純粋に透明なフィルターという人は、なかなかいないだろう。
我々は日々、様々な情報やメッセージに触れ続けているわけだが・・ 自分は何色のフィルターなのか、あらためて見直してみようと思う。